チリ地震津波

八戸港に大きな被害を出した昭和35年のチリ地震津波
あれから45年「はちのへ・湊の昔と今」

まちの駅だより
2004年12月30日号

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1960.4.24

2004.12.30
湊橋から新湊橋方向を見る
橋梁にあと1mほどに近づく水位。渦を巻く潮の流れ。湊本町通りの裏手になる「喜代志」や「パチンコ」の看板が見える

1960.4.24

2004.12.29
湊橋から河口方面を見る
岸壁は完全に津波に覆われ、潮に流された漁船は完全に岸壁に乗り上げている。現在では河口には大きな漁船は入っていない

1960.4.24

2004.12.30
打ち揚げられたイカ釣り船
湊町新田川左岸、建物は右から「イカ釣り組合」「三品鉄工所」現在は「三工商事」

1960.4.24

2004.12.30
湊町新田川左岸
上の写真とだいたい同じ場所。岸壁から潮が滝のように流れ落ちている。新築中の建物がこのころの好景気を裏付けている。

1960.4.24

2004.12.29
新井田川右岸、男山醸造所付近
おり重なっている漁船。屋根の上から蔵の窓にも注目、大正ロマン風のガラスの出窓が現代では普通の土蔵風の窓に直されている。「十王院」本堂も新築され大きくなっている。

1960.4.24 第二魚市場3Fより

2004.12.30 第二魚市場2Fより
第二魚市場前小中野北4丁目
「魚箱集積所」魚箱が散乱し、小屋が倒壊している。中央上にはかすかに江陽小学校の校舎が見える。1960年当時は江陽方面から新井田川に流れる雨水路があった。(現在の江陽地区、1960年当時の住所は小中野北と呼ばれていた)

1960.4.24 御前神社(当時)より

2004.12.29 館鼻公園より
第二魚市場を望む
岸壁が完全に水没している。中央の煙突は日東化学。右奥の煙突2本は火力発電所。現在は3〜4号機となっている。手前の造船所は現在住宅に。(御前神社は川向の江陽緑地に移転し、跡地は最近造成され館鼻公園の一部となっている)

1960.4.24

2004.12.29
東北電力八戸変電所付近
馬渕(まべち)川河口の付け替えによってできた旧中州の三角地帯。馬渕川堤防より撮影。もともと海抜0メートル地帯のためご覧のような状態。手前の石油基地への専用線も水没している。
「はちのへ秘蔵写真箱」 より。1960年当時の写真は西山正七 氏撮影。
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